こちらのページでは「英ポンド」の長期チャートと変動要因の解説を掲載します。
かつては基軸通貨であった「英ポンド」の歴史が全て確認できます。
欧州では多くの主要国が通貨ユーロ(EURO)を導入しています。
英国は長年、EU(欧州連合)に加盟していましたが、通貨ユーロは国内の反対が多く、導入を見送りました。(1990年代のポンド危機の影響もありました。下記の1990年代を参照)
そして、2020年にはEU(欧州連合)からも離脱することになりました。
そういう意味では英国はヨーロッパでは特殊な存在といえます。
ちなみに間違えやすいので記載しておきますが、英ポンドの対米ドル表記は「1ポンド=〇〇ドル」となります。
主要通貨の中でユーロ・英ポンド・豪ドル・NZドル以外は全て「1ドル=〇〇」(例えば1ドル=100円)という表記になりますので覚えておいてください。
英ポンドの正式名称はスターリング・ポンド(Sterling Pound)で「STG」と表記されます。
国際標準化機構(ISO)で定義された通貨コードでは「GBP」(Great Britain Pound)と表記されます。
どちらを使っても問題ありませんが、金融の世界では「GBP」が多く使われています。
それではまず、円/ポンドとドル/ポンドの長期チャートから掲載します。変動要因は箇条書きで掲載しています。(下段の方では10年ごとに区切ったチャートを掲載し、変動要因を細かく掲載しています)
英ポンド(GBP)レートの超長期推移(円/ポンド・ドル/ポンド)
- 円/ポンド為替レートは1971年3月の1ポンド=864円からから2011年12月の1ポンド=119円(対円の最安値)まで大きく円高ポンド安がすすんだ(1/7以下に下落した)
- 同期間のドル/ポンドは1ポンド=2.4ドルから1ポンド=1.5ドルとポンドは対ドルでは40%前後の下落となっている
- 同期間のドル円は1ドル=360円から1ドル=77円前後で対ドルで4.6倍となっており、その結果、ポンドに対しては7倍以上になったことになる
- 対米ドルの最安値は1985年3月の1ポンド=1.05ドル
英ポンド(GBP)の歴史を詳細に解説【10年毎チャート】
円/ポンド・ドル/ポンドの為替チャートと変動要因【1970年代】
- 1975年6月、現在のEU(欧州連合)の前身にあたるEEC(欧州経済共同体)からのイギリス離脱or残留の可否を問う国民投票が行われた
- これにより、1975年3月の1ポンド=2.4ドルから1976年9月の1ポンド=1.6ドル前後まで大きく下落した
- 投票結果は残留67%、離脱33%と大差で残留となったが混乱が嫌気されてポンドは売られた
円/ポンド・ドル/ポンドの為替チャートと変動要因【1980年代】
- 1980年代前半はポンドは対米ドルで大きく下落しているがこれはポンドが売られたというよりも、米国のインフレ対策による高金利で米ドルが高くなったことが大きいと考えられる(厳密には1980年代前半はドルと円が他の通貨に対して強くなっており、ドル円はほぼ横ばいの動きとなっていた)
- 1985年3月に対ドルで過去最安値の1ポンド=1.05ドルをつけた
- 1985年9月のプラザ合意によりドル高が調整され、1998年には1ポンド= 1.9ドル前後までポンドは上昇した
円/ポンド・ドル/ポンドの為替チャートと変動要因【1990年代】
- 1992年ポンド危機により、1992年9月の1ポンド=2.0ドルから1993年2月の1ポンド=1.45ドルまで下落
- 当時のEC(欧州共同体)内では将来の通貨統合を念頭に、為替レートを一定の範囲に固定するERM(欧州為替相場メカニズム)が採用されていた。
- 1991年~1992年のイギリスは実質GDPがマイナス成長、失業率が10%前後と景気悪化に苦しんでいた。一方、ドイツは1990年の東西統一後でインフレ率が上昇し利上げを行っていた。
- ERM(欧州為替相場メカニズム)の下で為替を固定する必要があるため、イギリスは景気低迷にもかかわらずドイツに追随して利上げを行うこととなり、さらなる景気悪化を招いた。
- この矛盾を突いたのが著名ヘッジファンド「クォンタム・ファンド」を率いるジョージ・ソロスでポンドは過大評価されているとして、大規模なポンド売りを仕掛けた。
- BOE(イングランド銀行)は為替介入で対抗したが維持できず、敗北宣言をしてERM(欧州為替相場メカニズム)から離脱し、変動相場制に移行した。
- このERM(欧州為替相場メカニズム)脱退により、通貨ユーロへの参加が事実上不可能となった(1999年1月にスタートした通貨ユーロには当初から参加せず)
- この一件でジョージ・ソロスは「BOE(イングランド銀行)を潰した男」として名を馳せた
円/ポンド・ドル/ポンドの為替チャートと変動要因【2000年代】
- 2002年~2003年にかけてポンドは対ドルで多く上昇し、2002年前半の1ポンド= 1.42ドルから2003年後半には1ポンド=1.8ドルとなった。
- ITバブル崩壊後の世界的不況の中で米国の政策金利が1%まで低下するなかイギリスの政策金利は3.5%までしか利下げを行わなかったことがポンド高になった要因の1つと考えられる。
- 逆にリーマンショック直後は政策金利を5か月間(2008年10月~2009年3月)で5%から0.5%まで低下させた。
- この時、ポンドは1ポンド=2.0ドルから1ポンド=1.45ドルまで大きく下落した。
円/ポンド・ドル/ポンドの為替チャートと変動要因【2010年代・2020年代】
※2020年以降のデータも当面こちらに追加していきます
- 2011年12月に対円での最安値となる1ポンド=119円まで円高ポンド安が進んだ。ただし、これはポンド安というよりドル円が大きく円高にシフトしたことが大きく影響している。
- 2014年6月の1ポンド=1.70ドルから2016年10月の1ポンド=1.22ドルまで大きく下落した
- ポンドが対ドルで最も安くなった1984年〜1985年以降の約30年間は1ポンド=1.4ドルが下限であったがそれを大きく割込む形となった(上段の長期チャートを参照)
- 2014年9月18日、スコットランドの独立の是非を問う住民投票が実施された。こちらは否決されたが、この前後に予想されていたBOE(イングランド銀行)の利上げが後退するとの思惑もありポンドは下落基調が始まった
- 2016年6月23日、イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票で欧州連合(EU)からの離脱が決定【Brexit(ブレグジット)】
- EU離脱決定に伴う景気後退を防止する目的で政策金利を7年5か月ぶりに下げ0.25%とした。さらに量的緩和を含む大規模な金融緩和政策を発表した。
- 結果的に2014年~2015年に見込まれていた利上げは行われず、逆に利下げと金融緩和を行う必要が生じたことで大きくポンドが下落したといえる。
- また、EU離脱に伴い2017年~2018年の経済成長見通しも大幅に下方修正されたことも通貨安の要因と考えられる
- その後、2017年に入りポンドは反発し始めた
- 2017年に入りインフレ率が上昇してきたことで11月に政策金利を0.25%から0.50%に利上げしたこともポンドの上昇の一因となっている
- 2018年4月から2020年にかけて、ポンドは再度、下落基調となった。これは二転三転するEU離脱問題が嫌気されたことが大きな要因である。
- 2020年1月31日にイギリスは正式にEUを離脱、2020年12月31日に移行期間が終了しEU離脱のプロセスが終了した。コロナショック後の2020年後半~2021年前半はポンド高で推移した。
- 2022年のポンドは対円では上昇、対米ドルでは下落となった【通貨の強弱:米ドル > GBP > 円】
- 米金利上昇によるドル高の影響で、2022年9月には対米ドルで1ポンド=1.11ドルまでポンド安が進んだ(対円では1ポンド=162円とポンド高が継続)
- 2024年4月、1ポンド=197円まで円安ポンド高が進んだ
【参考】かつては基軸通貨であった英ポンド
産業革命を経て、1800年代半ばには英ポンドが基軸通貨となっていました。
しかし、そのころ米国やドイツの工業化により、経済における英国の相対的な地位は低下していました。
さらに第一次世界大戦(1914年~1918年)による国防費増加により、英国は財政が悪化するとともに経常収支も赤字に陥りました。
第一次世界大戦後には英ポンドと米ドルの地位はほぼ同レベルとなっていました。
そして、第2次世界大戦後には完全に基軸通貨の地位は米ドルに移りました。
ちなみに1816年~1914年までは金本位制が続いていました。
また、1944年7月には戦後の復興に向けた新しい国際通貨制度として、金と米ドルとの交換比率を決め、米国が米ドルと金の交換を保証する「金ドル本位制」がスタートしました。
いわゆる「ブレトン・ウッズ体制」です。
その後、1971年8月のニクソンショックまでこの体制が続くことになります。この時に金(Gold)の通貨としての役割は終了しました。
その後、1973年に主要通貨の多くは完全変動相場制に移行しました。
関連ページ
英国の政策金利とインフレ率の推移はこちらを参照してください!
英国の経常収支の推移についてはこちら!